
『クリムゾン・キングの宮殿』と並ぶ人気作でロック史に残る名盤として名高い『レッド』は今年、発売50周年を迎えます。ロバート・フリップ、ジョン・ウェットン、ビル・ブルフォード、デヴィッド・クロス、ジェイミー・ミューアの5人編成で1972年にスタートしたラインナップはアルバム1973年『太陽と戦慄』完成直後にミューアが脱退し、4人編成になります。
50年前の1974年は『太陽と戦慄』に続く『暗黒の世界』が発売になり、アルバム・プロモーションのための大規模なツアーが計画され、ヨーロッパ、2期に別れた北米ツアーが行われました。
本来ならこの第2期北米ツアー終了後に『暗黒の世界』に続くスタジオ作を制作してバンドは続くはずでしたが、バンドが大きくなるにしたがい各メンバーの思惑にズレが生じ、関係が悪化。契約消化のためアルバム制作は行われましたが、今回のホームページ更新が行われた50年前の7月1日ニューヨーク、セントラルパークに於ける公演を最後にライヴ活動を停止。アルバム『レッド』の完成を待って解散となりました。
歴史上の事実として認識しているから「そういうもんだ」と思いますが、普通、アルバム作って解散するバンドはないだろうってことです。よく考えればとんでもないことを当たり前のようにやってくれました、50年前のキング・クリムゾン ・・・というかロバート・フリップ。
40thアニヴァーサリー・シリーズでのボックスではそれぞれの時代の作品の最新リマスター、サラウンド音源に加えDGMライヴが所有するライヴ音源中心の構成でしたが、『クリムゾン・キングの宮殿』の50thアニヴァーサリー・ボックス『The Complete 1969 Recordings』から始まった50周年記念ボックスではスタジオ・レコーディングのアウトテイクス、セッション音源に重きを置いた構成に変化。サラウンド音源も5.1ch音源からドルビー・アトモス音源主体となりました。
昨年発売された『太陽と戦慄50』に続き『レッド50』の制作は既に始まっています。今回もスタジオ・セッション音源等が数多く公開される予定です。『太陽と戦慄』よりもはるかに謎めいている『レッド』の制作過程が遂に明かされることになります。
現時点では秋の発売を予定しているとのことですが、DGMからのアップデートが上がり次第、情報を順次公開していきます。
まずはクリムゾン史上、最も不穏なツアーとなり、フリップが解散を決意する1974年6月の『暗黒の世界』プロモーショナル・ツアー、第二期北米編に至る道のりを市川哲史(どうしてプログレを好きになってしまったんだろう)にまとめてもらいました。
どうして50年前のキング・クリムゾンは「最強」だったんだろう。
「現在日本では120枚のキング・クリムゾンの海賊盤が入手可能で、グループの歴史をまんべんなくたどることができるが、そのカタログを見てみるとほとんどが1973年と1974年に集中している。というわけで、この時期のクリムゾンのライヴは常に多くの人が聴きたがっていると確信した」。
1992年11月発表の『ザ・グレート・ディシーヴァー LIVE 1973-1974』箱の英文ライナーで、わざわざロバート・フリップに足元を見られるまでもなくても我々は、『太陽と戦慄』『暗黒の世界』『レッド』期のクリムゾンが大好物だ。
超重量級40周年記念箱シリーズやらDGM Liveという名の頼母子講やらに長年、高額なお布施を納め続けたおかげで、国内外のどのバンドより全キャリアを網羅してライヴ音源を聴くことができた。〈誰も聴いたことがない新しい音楽〉で衝撃的だった1969年物。〈ジャンクなじゃじゃ馬クリムゾン〉がいま聴くと珍味でなくもない1971—1972年(4月)物。〈暴走するストイシズム〉がたまらない1980年代物。〈地上最強の小手先ロック〉Wトリオに翻弄されちゃった1990年代物。すごいことやってるのに明日が見えなかった〈{加工}という名の自傷キング・クリムゾン〉2000年代物。そして2014年以降の〈まさかのヒットパレード〉楽団クリムゾン物も、そのどれもが聴きどころとツッコミどころ満載で、いろんな意味で恰好いい。あ、〈ProjeKct Two〉物はもういいです。 だけどそんなどのクリムゾンでさえ、1972(年7月)—1974年物のキング・クリムゾンの前では霞んでしまうという身も蓋もない事実もまた、同時に突きつけられちゃったわけだ。
ではなぜ、フリップ命名する第三期キング・クリムゾンは〈史上最強〉だったのか。
いまさら言うまでもなく、「私にとって我々が世界最強のバンドだった時期のうちの一つで、五人で始まり三人で終わったキング・クリムゾン」と自画自賛したほどの、その轍には未来永劫草木も生えぬあの〈最高難度の轟音バンド・アンサンブル〉が、スリリングで圧倒的だったからに他ならない。2006年編纂の四代目ベスト盤『濃縮キング・クリムゾン』の自筆ライナーで、フリップ大先生は改めてこう総括した。
「(クリムゾンは)とてつもないライヴ・モンスターであったが、そのパワーをアルバムで伝えることは1974年発表の『レッド』までできずにいた。このアルバムでさえ、その激しさのほんの序の口程度でしかなかったのだが。この時期は曲調と即興性で主にヨーロッパの表現スタイルを引用している。ますますバンドはインプロヴィゼイションを生きる糧としていった。まさに原動力だったのだ。思えば1969年当時のクリムスケープ(←クリムゾン・サウンド、の意。おいおい)は簡素で予め用意されたものだったが、1973—1974年のクリムスケープは、よりダークで多くが即興だった」。
大先生のおっしゃる通り。そのライヴで発揮されるバンド・インプロが生む爆音センチメンタリズムが、未だ我々の琴線を摑んだまんまだからタチが悪い。しかもこの史上最強クリムゾンが醸成される過程に、バンド内のえぐい群像劇や業がそのまま反映されてたというのがまた、なんとも生々しかったのである。 『太陽と戦慄』『スターレス』『ザ・ロード・トゥ・レッド』の三箱合わせて計57CD+4DVD+5BDにDGM Liveの、大量のライヴ音源を聴き倒して初めて見えた〈最強クリムゾンへの道〉ドキュメンタリーだもの、そりゃ〈史上最強〉の説得力も倍増する。
【1972年10月13・14・15日ZOOM CLUB+11月10日~12月15日・英27公演】は、フリップ&ジョン・ウェットン&ビル・ブルフォード&デヴィッド・クロス&ジェイミー・ミューアの新ラインナップお披露目のはずが、ツアー中に新作『太陽と戦慄』の骨格がほぼ完成しちゃったとは、えげつない。
「インプロ主体で行くぜ」と頭ではわかってても手探りで始動したばかりの文系ロック・グループに、いきなり現れ「芸術とは爆発だ!」とばかりにしっちゃかめっちゃかし放題のミューア効果がでかかったはずだ。
【1973年3月16日~25日・英9公演】【同月30日~4月9日・欧9公演】【4月18日~7月2日・北米42公演】は、せっかくの新作お披露目ツアーだったのにいきなり四人編成の試練に直面。しかし脱退したミューアが憑依したかのような、各種打楽器も叩きまくる〈二人羽織ビルブル〉が試行錯誤を重ねるとともに、ウェットンもルートの加速に挑み、クロスも相当頑張って疾走するなど、端正な〈嵐の前のキング・クリムゾン〉はクールで恰好よかった。『太陽と戦慄』ワールドもほぼ完成したし。
【9月19日~10月15日・北米19公演】になると、ラディカルなのに凛々しいインプロを原動力に先進的な求心ロック・カルテットとして、加速度的に進化を遂げるから凄まじかった。ただしその最大の特性であるインプロ性をスタジオで再現するのは困難で、「ならライヴ会場をレコーディング・スタジオにしちゃえばいいじゃん」と発想を大転換。早速、【10月23日~29日・英6公演】【11月2日~29日・欧19公演】はマルチトラックでライヴ録音を敢行して、魅惑のインプロをがんがん楽曲化するのだ。
“隠し事”は10月23日グラスゴー、“詭弁家”は11月15日チューリッヒ、“暗黒の世界”と“トリオ”と“夜を支配した人”と“突破口”は11月23日アムステルダム。なのに1975年発表の初代ベスト盤『新世代への啓示』で「『暗黒の世界』の60%はライヴ録音(フリップ談)」と情報公開されるまで、我々はスタジオ録音と信じて疑わなかったのだからおめでたい。それほど彼らはできあがってたのである。 問題はここから、だった。

とうとう明けちゃったよ1974年が。
『暗黒の世界』リリースとともに開幕した【3月19日~4月2日・欧13公演】【4月11日~5月5日・北米17公演】【6月4日~7月1日・米21公演】は、ツアー初日から新曲“スターレス”が披露されたのが象徴的で感慨深い。けど早い時期から独特の文芸的なセンチメンタリズムが希薄になり、マッチョでメタリックな轟音がクリムゾンそのものに同一化していく。暴走する巨大重機のように。世の中何がどう転ぶかわからない。
3月20日プレシア。“夜を支配した人”のフリップのギター・ソロに思わず「きゃっほーっ」と嬌声を挙げたビルブルは、“太陽と戦慄パートⅠ”におけるクロスとウェットンの見事な絡みにも「ナイス・エンディング」と賞賛を惜しまない。一体感あるじゃん!
3月24日アヴィニョン。セトリから、クロスの見せ場ソング“LTIA1”が早くも削除に。
3月27日アウグスブルグ。クロスのピアネットを、ウェットンと組んで叩き潰しかけるビルブルの旺盛な自己顕示欲が怖い“イージー・マネー”。クロス渾身のヴァイオリン・ソロをサステイン全開ギターで瞬殺した“スターレス”。
3月28日ディーブルク。狂暴なギターが予期せぬスケールから仲間に襲いかかる魅惑の修羅場“突破口”から、四人全員が自分の武器で応酬するインプロへ。クロスとビルブルの音楽的緊張関係が「まだ」プラスに働いてた日。
3月29日ハイデルベルク。いつも以上にいちいちパワフルで、すべての打音が聴く者の鼓膜に突き刺さるビルブル爆裂の夜。ウェットン&ビルブル〈無双リズム隊〉×クロス&自分〈官能リード楽器デュオ〉的なコントラストの妙を模索してたフシがある大先生。
3月30日マインツ。「ステージでもレコードでもインプロもっと増量しようぜ!」的なビルブルからの圧力が、日々強烈に――とはウェットンの述懐。グルになって我儘な轟音をあれだけまき散らしておきながら、どの口が言うか。
3月31日プフォルツハイム。クロスの演奏を故意に邪魔してるとしか思えないビルブルの〈これみよがしのオカズ絨毯攻撃〉が、なぜか影を潜めた夜。
4月1日カッセル。無慈悲なドラミングでビートを刻み続けて三人を挑発するビルブルに誰よりも上手に鮮やかに乗った、クロス会心のヴァイオリン。40年後にこの音源を聴いたクロスが、「互いに信頼感を取り戻したら楽曲に演奏が寄り添ってたことに、純粋な歓びを感じた一夜」と述べたくらいだから、生半可な達成感じゃなかったに違いない。
4月2日ゲッティンゲン。“スターレス”の歌詞が唄う度に違うのは、ご愛敬。

とここまではまだ幸福の瞬間を四人で共有する機会が少なくなかったのに、大西洋を渡り米国を廻り始めた途端、一気に殺気がステージ上を支配し始めたのだ。
限度を知らないウェットンの爆音化には、「米国で商業的大成功を摑んだイエスやピンク・フロイドに続くのは自分たちで、ついにその千載一遇の好機が訪れた!」的な怒濤の能天気ポジティヴィティーが大きく働いてたように思う。彼にとって次作の新曲“スターレス”はプログレ叙事詩でもなんでもなく、チャート狙いの必殺バラード曲だったわけで。
4月28日コロンバス。混在する複数の変拍子の波をギターとベースとドラムが圧倒的な技巧で飄々と乗りきる“突破口”も、怒濤すぎるウェットンのソロとハイハットを強く正確に刻みながら変拍子ポリリズムを平気で同時に叩けちゃうビルブルに笑う“イージー・マネー”も、異常だ。しかし公演中にうっかりヴァイオリンを落としたクロスを、ビルブルが「さっさと弾け」と罵倒。終演後に「ステージで僕を馬鹿にするな」と抗議するクロスに、「俺のことは無視しろ」と凄むビルブル。やばい。
5月1日ニューヨーク。劣悪な音質だけど観客の隠し録りなので、当日のオーディエンス感覚でライヴを疑似体験できる。この超人アンサンブルはすごい。と同時に、ステージ上のマイクというマイクが全てウェットンのアンプから大音量で放出されるベース音を拾ってる「生き地獄」に気づく。フリップに「JWが自分の音量を気にしてないことがわかった。驚愕の事実」と書かせたのもわかる。するとベース以外何も聴こえないビルブルがさらに強く叩く結果、リズム隊ばかりが鼓膜を揺さぶり続ける。“トーキング・ドラム”でリズム隊がくそうるさすぎたため、ヴァイオリンがもげもげに。
6月5日ヒューストン。「ギグの振り幅あるダイナミクスが全て台無し」と前夜の日記でキレたフリップが、この日の公演後には「クリムゾンにはJWと私、実質的に二人のリーダーがいる」と弱音を吐いたあげく、「キース・ティペットとアルバムを作りたい」などと現実逃避モードに。もはやウェットンの存在自体がトラウマ化した、疲労困憊の大先生。
6月6日フォートワース。初っ端からメロトロンのチュ-ニングが破綻して取り乱すクロスに、演奏を自ら中断したビルブルが「俺たちのバンドにヴァイオリン奏者はいない。お荷物が一人いるだけだ」と公開罵倒。一方、〈ハイスパートでラウドな21馬鹿〉が実現して暗がりのスツールに座りハード&ヘヴィーなリフを弾き続けるフリップを、反対側から所在なげに様子見するクロスが危ない。
6月7日オクラホマシティ。前夜予期せず現れた〈超攻撃的キング・クリムゾン〉に手応えを感じたフリップは、音がデカすぎるウェットン&人格に難がありすぎるビルブルに対する有効な対抗策を編み出した。目には目を歯には歯を爆音には爆音を、とばかりにこの日から大先生も爆音化する。するとアンサンブルはアグレッシヴでラウドのまま、メンバー間のバランスも衡れてしまった。か弱いヴァイオリンを置き去りにして。
6月8日エルパソ。冒頭の“LITA2”から爆音地獄にクロスが遭難。ああ。
6月22日ミルウォーキー。おそらくツアー最低の出来で、一人絶好調ビルブルのワンマンショーに。
6月23日グランドラピッズ。本番前にフリップら〈辞意もしくはバンド解散〉を一方的に提案されたウェットン&ビルブル、憤怒の殺人リズム隊と化して傍若無人な演奏に終始。逆ギレ大先生も応戦し、二人に鉄槌を食らわずストイックな轟音リフを弾き続けたもんだから、クリムゾン史上最もアナーキーで全てを破壊尽くしたライヴに。
あれ、クロスはどこ。
6月24日トロント。殺伐とした人間関係の中、この日は新作用のマルチトラック録音。前日同様の「負」のアンサンブルながら、「ハードだった。毎日演りたいようなギグではないが、成功」と達成感を漏らす大先生の心中やいかに。ただ忘れちゃいけないのは、本公演時点でフリップ28歳・クロス26歳・ウェットン&ビルブル25歳の若造だということ。人の道を少々踏み外そうが、若気の至りだからこそ到達できた〈キング・クリムゾン1974年の奇蹟〉はもうすぐだ。

6月25日ケベック。移動の空港ロビーでフリップに、「ビートルズみたくライヴは演らずレコードだけ制作する〈スタジオだけのキング・クリムゾン〉はどう?」と直訴したクロス。病んでるぞ。そのフリップは「ビルブルはスタジオ要員に固定してツアーには参加させない」案をこっそり温め、ウェットン&ビルブルは「いずれにせよクロスは馘」が合言葉とは。その後も大先生の迷走っぷりは尋常じゃなく、“フォーメンテラ・レディ”で弓弾いてくれたウィルフレッド・ギブソンにクロスの後釜をこっそりオファーして断わられたり、イアン・マクドナルドに復帰要請して極悪リズム隊に対抗しようと思ったり、いやいやマクドにバンドを禅譲して自分は脱退を目論んだり。恐怖新聞かクリムゾンは。
6月27日ワシントンDC。米国ツアー終了まであと4公演。クロスの解雇は既定路線で、閉幕1週間後からの新作レコーディングも決定事項。ギターとリズム隊の音速スパーリングのような応酬がスリリングな“人々の嘆き”や、すっかり仕上がった感のある“スターレス”も含め、恩讐の彼方が見えてきた。
6月28日アズベリー・パーク。“21馬鹿”以外は『USA』2013年ヴァージョンに完全収録。全9曲中既成の7曲は演奏する度に違う表情を見せて次々と別解釈を紡ぎ重ね、インプロ2曲は誰かが弾き始めた演奏を他のメンツが強烈な自尊心で乗っ取りを図るという、完璧な演奏スキルを持つ彼らにだけ赦された優秀な〈音楽的好奇心の賜物〉に。不遜なビルブルに毎日腹を立て続け、この日も「悲観的で徒労感があった」にもかかわらず、「演奏をとても愉しんだ」と幾つも速弾きソロまで披露したギグに、大先生は大いに満足していた。不毛な緊張関係に神経を苛まれば苛まれるほど素晴らしい音楽が生まれるとは、なんと因果なバンドなのか。
6月29日ペン・ステート大学。前夜に食した貝にあたってフリップがいい具合で脱力できたのか、重量感で押し切るだけでなく軽やかに疾走するクリムゾンが登場。“突破口”を生演奏で簡単に再現する相変わらずのアンサンブル力が、堪能できる。
6月30日プロヴィデンス。三夜連続でマルチトラック録音した甲斐あって、インプロを編集した“神の導き”は『レッド』、“21馬鹿”は『USA』、そして残り全曲が『ザ・グレート・ディシーヴァー』箱に。バンドの音楽的ピークはなお継続中。

そして。
7月1日セントラル・パーク。1974年のライヴ音源の大半がサウンドボード録音で、28・29・30日に至っては録音車が連続稼働してたのに、最高難度を誇る完璧なラスト・ライヴがオーディエンス音源とは。それでも「自分が参加したキング・クリムゾンで最高のギグ」とウェットンが、「私が腹の底から素晴らしいと思った1969年のキング・クリムゾンと同じレベルの出来」とフリップが自画自賛した、完璧な演奏はちっとも色褪せない。
20時を過ぎてもまだ陽が沈まぬ中、ビルブルのカウントで怒濤の“21馬鹿”がいきなり広い野外を侵食すると、やがて「陽が沈む頃、不吉なベース・リフが刻まれて“スターレス”のヴォーカルが始まると、バンドの後方から赤いステージ照明が徐々にその光を増す。私にとっては、楽曲とグループの内に潜む緊張を際立たせる、驚愕すべき劇的な瞬間だったのだ」と大先生本人をしみじみさせたのだから、絵に描いたようなラスト・ライヴだ。47年後の2021年12月8日、渋谷オーチャード・ホール公演をやたら感動的な“スターレス”で締めたのは、きっとこの成功体験の成せる業だったと思う。
あれから50回目の7月1日を、我々は迎えた。何度でも書くけれど、ひたすら純化を遂げ続けた稀代の轟音アンサンブルは、未だ〈1974年のキング・クリムゾン〉しか実現できていない。半世紀も経つのに。
そして私が個人的に畏敬の念を禁じ得ないのは、一人は馘になり、一人は相変わらず好き放題叩くことにしか関心がなく、一人は目の前にぶら下がる商業的成功を摑むのに躍起で、一人はこっそり解散を決意してたようなバンドが、わずか一週間後の7月8日からレコーディングを始めてあんな歴史的名盤を完成させた事実。しかも発売直前に解散がアナウンスされるのだから、前代未聞のカットアウトだ。こんな終わり方ある?
どっから見ても、50年前のキング・クリムゾンは最強だった。
市川哲史(どうしてプログレを好きになってしまったんだろう)
